山と写真と毎日と

アラフィフのおっさんが趣味の登山・写真・日常を綴るブログ。

娘の中学受験が終わりました。

こんにちは、GreenFielderです。

これまでもブログの中でちょこちょこ触れてたし、☟の記事を投稿していたのでご存じの方が多いと思いますが。

onedayhike.hatenablog.com

都内の私立中学校の受験時期は2/1〜2/3(遅くとも2/5)くらいまでで完了する訳ですが、我が娘は2/4をもって全受験日程を終了しました。

その間、コメントなどで励ましの言葉を頂いた皆様、本当にありがとうございました。とても暖かく背中を支えてもらった気がしました。

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思えば娘にとってはとてつもなく長かった準備期間。昨年は夏休みも冬休みも勉強に明け暮れていました。

お友達と遊びに行きたい気持ちを堪えて必死に勉強していた娘。時には弱音を吐いたり、時には第一志望校での学校生活を夢見たりしながら、本当によく頑張っていました。

娘の第一志望の学校は「超難関校」。過去に受けた模試での判定で合格可能性が5割を超えたことはありませんでしたが、学校見学会で校風と生徒のいきいきとした姿に魅了されてしまったようです。

当初は、「娘が行きたいと思う学校だけ受験、確実に受かりそうだけど行きたいと思えない学校は受験しない」という方針で受験校を絞っており、塾の先生からは「受験は何が起こるかわかりません。安全な学校も受けた方が・・」と言われていました。

受験時期が近づいてくると、娘が「こんなに勉強したのに、結果公立中にいってまた高校受験はいや」と言い始め、直前になって幾つか受験校を増やしました。

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始めは1月の埼玉県の学校で力試し。上掲の記事で触れた受験者数1万人を超える学校です。

こちらはなんとか合格。通うとなるとかなり遠いものの、「行くところが確保できた」ことで娘も親もまずは一安心。でも、試験結果(この学校は本人の総得点、受験者中の順位、等全て開示される)は思っていたより芳しくなく、一抹の不安が残りました。

その後も第一志望校合格のため毎週土日の特別授業を継続しましたが、思うように成果が出ず、1月最後の塾内模試でも合格基準点に達せず、帰宅後娘は涙にくれました。「こんなに頑張っているのになんで?!」と。。

でも、娘は翌朝には気持ちを整理して再び勉強に取り組み始めたのです。「せっかくここまでやってきたんだからね」と。どれだけ嫌な気持ちになっても翌日には立て直せる。これって私からの遺伝だと勝手に自負しておりますが(笑)、それにしても小学生でこの気持ちの切り替えの早さ。わが娘ながらすごい!

この時、妻と私は2月1日午前の受験校を変更するかどうか悩みました。第二・第三志望校共に2/1午前が第一回試験で、2/2午前が第三志望校の第二回試験、2/3午前が第二志望校の第二回試験です。

私は学校見学会や学校説明会を通じて、第二・第三希望の学校もとても良い印象(先生・生徒の雰囲気が良い)でしたので、第一志望校が難しいなら、2/1午前に第二・第三志望校いずれかの第一回試験を受験する手もあるなんじゃないかと思ったんです(特に第二志望校は「複数回受験者を優遇する」と明記)。

でも、娘は最終的に「第一志望校を受けたい」と決断。その時、娘は私に言いました。

「□□校(第一志望校)に落ちたら、私のこれまでの勉強って無駄になっちゃうのかな・・・」

「ううん、全然そんなことない。ここまで○○(娘の名)が努力してきたこと自体がこれからに活きるんだよ。」

「うん!」

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そしていよいよ2月1日当日の朝。

娘と私は朝、第一志望校に向かいました。道すがら、娘は「少し緊張してる」と笑っていました。そして学校につき、笑顔とハイタッチで娘を送り出しました。娘が奥に消えていくのを見届けて最寄りの駅に戻っていきますが、、

「なんか手に持っている荷物が重いような・・・」

「あ、弁当袋を渡し忘れたぁぁ!!」

踵を返し急いで学校に戻ります。係の人がすぐに気付いてくれて、同校の生徒さん(ボランティアで受験サポート係をしてくれている)が娘のところまで持っていってくれました。幸いすぐに気付けたので、集合時間前に娘の手に渡りました。なお後で娘に聞いたら、娘も緊張で弁当袋を受け取ることを忘れていて、係の生徒さんから受け取ってようやく気付いたとのこと(笑)

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試験が終わり、娘が会場から出てくるのを待ちます。そして出てきた娘は、、、

放心状態のような感じでした。。。

声を掛けても耳に入っているのか入っていないのか、返事をしてくれません。一目この姿を見た時から、「これは厳しい」と思いました。そして帰宅後娘は号泣。午後には第四志望校の試験が控えていましたが、この精神状態では厳しいかな、と思いました。

なんとか気持ちを落ち着かせて試験は受けたものの、同晩に判明した結果は「不合格」。翌朝結果を伝えると再び号泣。「もうどこにも受からないよ!」と膝を抱えて暫し動きませんでした。。

でも、時間が経ち、第三志望校の試験のための出発時間になると、彼女は再び動き出しました。感情を押し殺して。。

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娘は試験会場への道すがら、そして試験終了後の帰路でも、無表情と沈黙を貫いていました。「もう結果を見るまでは感情を抑えよう」という決意の表れだったんだと思います。

娘が試験を受けている間に第一志望校の結果も判明、やはりダメでした。。娘はそれも察していて、伝えても無表情のままでした。

この日も午後に第四志望校の第二回試験があり、途中で妻と合流して会場へ向かう予定でしたが、娘の精神状態を心配して、更に塾からも「娘さんと話をさせてください」との言葉も有り、娘に塾の先生と話をするよう促しました。でも娘は頑なにこれを拒否。「話をしてまた嫌な気持ちを思い出したくない」と。

結果、妻が塾に電話して、スピーカー通話で娘にも話を聞かせることにしました(事前にそうすることを塾側にも伝えた上で)。

妻が状況を説明すると、塾の先生がスピーカー越しに娘に語りかけます。

「〇〇(娘)の頑張りは塾の先生はみんな分かってる」

「・・・」

「△△校(第四志望校)の昨日の結果は塾の他の子達もみんな厳しかった。〇〇だけじゃなくみんな苦しんでるよ」

「・・・?!」

「△△校の二回目試験では一回目の合格者はごっそり抜けるから、まだチャンスは十分にある」

「・・・」

「今は目の前にある試験、目の前にある科目、目の前にある問題にだけ集中しなさい」

「・・・分かりました。」

「よし、そうだ!頑張れるか?」

「頑張ります!」

ようやく娘の顔に正気が戻りました。そして、午後の△△校の二回目の試験に挑んだのです。

某中学。試験を終えて出てくる子供を待つ親達。

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心揺れ動く中でなんとか2/2の試験を無事終え帰宅後、娘は翌日の第二志望校の試験準備をしていました。なお、この日受験した2校の合否は夜に判明する予定でしたが、これ以上結果で動揺させまいと、「発表は翌日の夜」と娘に偽って説明してありました。が、そう約束していたはずの妻が娘に携帯の画面を見せているのを背後で察しました(私は万一のために追加受験校を必死にネットで調べている最中でした)。そして、娘が飛び跳ねて喜んでいるのが背中に感じられたのです。

「パパ、受かった!!!」

娘が飛んできて見せてくれた携帯画面には桃色の背景に「合格おめでとうございます」の文字が・・・

私も娘の手を取って一緒に飛び跳ねたのは言うまでもありません(笑)

娘は第三志望校の合格を見事に勝ち取ったのです!!

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翌朝、娘と私は第二志望校の門をくぐりました。娘の心を映すかのように、前日のどんよりした曇り空から一転、雲一つない快晴の青空。学校の門に立つ紅白の梅の花が空の青に映え、とても鮮やかでした。そして昨日の朝はできなかった「笑顔のハイタッチ」で娘を送り出したしました。

実は昨晩の第三志望校合格を受けて早速本人から塾に電話報告させたのですが、電話の向こうで歓声が上がるのが聞こえました。特に、いつもお世話になっている庶務の女性が喜んでいる声が娘には嬉しかったよう。そしてその電話の最後に先生から第二志望校の試験にあたってのポイントを聞いていました。

試験を終えて出てきた娘は、「先生に言われたことはできたよ!」と教えてくれました。

そして、帰宅後は全試験日程を終えて家族でのささやかな「お疲れさん会」を実施。翌日の日曜日は「よみうりランド」で慰労することを決定して早々に就寝。久し振りに家族が安心して眠りにつくことができました。

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翌日のお昼に第二志望校の合格発表。

娘も交えてPCの前に座り、娘の受験番号の有無を確認しましたが、、結果娘の番号は無し。。娘も今朝までの元気は無くなり、じーっとその画面を見つめたまま動きません。そして最後は涙を流していました。

でも、ここでもまた娘は時間を掛けて気持ちを落ち着かせてから、「よみうりランドに行く。気分転換したい」と。

よみうりランドは天候も悪く人影も疎らながら、その分アトラクションの待ち時間も短くて、娘はこれまで怖がっていた絶叫系にも挑戦して絶叫を上げながら楽しんでくれました。もしかしたら声を張ることでモヤモヤを吹き飛ばそうとしていたのかもしれません。

夜のイルミネーションも堪能した帰りの車(カーシェア)の中で娘が「中学校生活が楽しみになってきた!」と言ってくれたのが救いでした。

よみうりランド・イルミネーション。

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こうして、娘の長い長い受験戦争は終わりました。

我々親としても、長い厳しい日々でした。そして2/1から2/4までの時間がとても長く感じられました。

そして、ここまで辛い思いをしながら歯を食いしばって頑張った娘は、この受験戦争を経て何か成長してくれたと思っています。

この記事を書いている今も、「本当にこの中学受験は必要なのか」という思いは有ります。でも一つ言えるのは、これだけの緊張とストレスを抱えながら受験に挑み、挫折も成功も味わった娘は、これからの人生でも味わうであろう緊張やストレスへの一定の耐性はついたのではないか、ということです。

娘は昨日から「普通の小学6年生」に戻りました。これから小学校卒業まではしっかり羽を伸ばし、そして来年度からは気持ちもあらたに学校生活を楽しみ、成長していってくれることを切に願って止みません。

 

最後までご覧頂きありがとうございました!

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