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アラフィフのおっさんが趣味の登山・写真・日常を綴るブログ。

若い人に読んで欲しい「昭和」を知る本2冊。 〜吉村昭「戦艦武蔵ノート」・沢木耕太郎「檀」〜

こんにちは、GreenFielderです!

最近、娘の受験勉強のサポートとして、娘の塾の国語のテストの振り返りをする係なのですが、、

そこで引用されてる文章(物語文・評論文)を読んでは、ウルウルしたり「なるほど」と感心したりしています。

塾のテストなのに、これだけ心を動かされる、或いは「勉強になるな〜」と感じる題材を選んでいることに、ある意味「商業主義を超えた問題作成者の思い」みたいなものを感じずにはいられません。

「塾って、要は塾生がどこに合格したか、だけが関心事なんでしょ?」とうがった見方をしておりましたが、選ばれた題材を見る限り、「子供たちの琴線に触れる」「子供たちの知性を豊かにする」為に熟慮している作成者の思いを感じずにはいられません。

そして、「自分にはまだまだ知らない『良い作品』があるんだなー」とも。作成者は、一体どうやってこんな逸品を探してくるのだろうか。是非当人にインタビューしてみたい(笑)

 

・・・本題から大きく逸れました。。

今回は久しぶりに、最近読んだ本で心を動かされた作品についてご紹介したいと思います。

その作品とは、以下の二つです。

1. 吉村昭戦艦武蔵ノート」

2. 沢木耕太郎「檀」

書籍の紹介記事は、私の場合「おすすめしたい・・・」シリーズなのですが、今回敢えてそう書いていないのは「きっと読む人によって好き嫌いが分かれるな」という読後感を持ったからです。私にとっては「強く印象に残った」2作品、どちらもキーワードは「昭和日本」です。

では、本題に入っていきましょう!

 

1. 吉村昭戦艦武蔵ノート」

吉村昭は私が好きな作家の一人です。彼の作品を読んだのは、まだ大学生の頃。私の記憶が確かならば、私が読んだ彼の作品は、「ポーツマスの旗」「零式艦上戦闘機」「羆嵐」「海軍乙事件」「高熱隧道」「ニコライ遭難」などです。一作目を読んでから虜になり、立て続けに読み耽りました。

そして、中でも印象に残っているのが「戦艦武蔵」。タイトルから「戦争モノ」と思われるかもしれませんが、この小説では、寧ろこの当時世界一の巨艦を建造する民間企業従業員の情熱と葛藤、世間で持たれている「軍の民(みん)への圧力」という構図とは違う両者の関係性と、印象通りの「戦時中の軍の圧力と犠牲となった民」とがいずれも淡々と描かれています。

そして、情熱と莫大なヒト・モノ・カネを費やして建造された戦艦武蔵が、フィリピン沖であっけなく沈没していく無情さ、「お国のため」と勇敢に戦い武蔵と運命を共にした者、生き残ったものの武蔵沈没の事実を国民に知られぬための軍の方針により絶望的なフィリピン戦線に転戦させられ命を落とした者、などのことが、これまた淡々と描かれています。

小説前半の熱量と後半の「虚しさ・惨さ」のギャップが、淡々とした筆致により殊更強調されていて、衝撃を受けたのを覚えています。

若造だった当時なりに、作者がこの小説を通じて伝えたいことは朧げながら分かったつもりでしたが、そこから25年以上経った今、ふと古本屋で手に取ったこの「戦艦武蔵ノート」で、それが明らかになりました。

この「・・ノート」は、小説「戦艦武蔵」を書き始めることになった経緯から、関係者への取材や文章を作成していく過程、そして時々での筆者の思いなどが綴られています。

この本を通じて筆者が伝えたかったことは、当時の戦争を美化するでもなく、戦争の責任を軍部のみに転嫁するでもなく、戦艦武蔵とそれを取り巻く人間模様を、淡々と、しかし精緻に描き出すことで、「あの戦争はなんだったのか」、「戦争中の日本の空気はどのようなものだったのか」そして「戦争がどれだけ虚しいものか」を、「もはや戦後ではない」などと言われていた当時の世の中にあらためて伝えたい、ということだったのだと私は理解しました。

同じ昭和でも、戦中と戦後で国民の戦争感が180度変わってしまい、戦争の真の問題が掻き消されていくことに違和感を覚えたことが、はじめは躊躇していた筆者に執筆を決意させた要因であったと思われます。

私の年代くらいまでは、「祖父から戦争体験を聞いたことがある」という方が多いのではないでしょうか。でも、私より10歳以上若い世代になってくると、戦争体験を直に聞く機会は殆どなく、映像や書物でしか知ることができなくなってきつつあるのではないかと思います。そんな世代の方々には小説「戦艦武蔵」と本書をあわせて読んで欲しいな、と思います。

 

2. 沢木耕太郎「檀」

沢木耕太郎も学生時代に愛読した作家の一人です。沢木耕太郎作品で私のダントツはやはり「深夜特急」です。私が学生時代に海外放浪(と言っても1ヶ月くらいですが)をしたいという衝動に駆られたのは、この本無くしては有り得ませんでした。

本当は「深夜特急」をあらためて読み返して、記事にしたいのですが、当時寝食も忘れて読んだ時に感じた、退廃的で、でも甘美な余韻をそのままにしておきたい、という気持ちもあり、迷っております。歳を取ると、どうしても読む本に対して評論的になってしまいそうなので(笑)

沢木耕太郎は、先述の吉村昭と並び、ノンフィクション作品を書くにあたって、その取材力が素晴らしいと思っています。「深夜特急」は自叙伝的で、取材は無かったわけですが、取材を通して書かれた作品(「一瞬の夏」「凍」など)も迫真に迫る内容で一気に読み進めてしまいます。

取材力って、つまり「人間力」なんですよね(と昔何かの記事で見た記憶が)。

真実を緻密に書く為には、関係者があまり話したくない、過去のこととして封印したかったようなことも「この人になら話してしまっても良いかな」と思わせる人格と会話力が必要だと思うんです。そして、本人が忘れかけているようなことまで記憶の底から引きずり出させる力。これがノンフィクション作家の真骨頂だと思います。

そして、沢木耕太郎の「取材力」と、沢木が作品の中で語り部とした檀一雄の妻、ヨソ子さんの「記憶」が、この作品を作り上げた、と言っても過言ではないと思います。

この作品は、亡夫である作家、檀一雄の生涯を妻からの目線で綴っていきます。檀一雄には最初の妻がいて、戦地に赴いている間に病気で亡くなります。その後一人で幼な子を育てているときに、同じく戦中に夫を亡くしたヨソ子さんと再婚し、子供達を授かります(その一人が檀ふみさん)。

しかし、その後檀一雄は別の女性と関係を持ち、その女性と生活を始めます。

更に、その女性との恋物語を作品にし、世に送り出したのです。

ヨソ子さんは、そんなことに傷付きながらも何故か檀一雄を心底憎めない、と耐え、檀一雄がその女性と別れて家に戻るのを受け入れます。

そしてその後は檀一雄の死まで添い遂げたのです。

そして終章では、檀一雄の死後に、南氷洋の船の上にいる檀一雄から送られた手紙を読み返して将来起こることを見越していた檀一雄の言葉を噛み締めるヨソ子さんの思いが綴られます。

 

もしここまで私の長文に耐えて読んでくださっている若い方がいらっしゃったら、おそらく頭の中が「????」となっているのではないでしょうか。

今時、そんな旦那だったら、奥様は即離婚&賠償金請求、という流れが当たり前ではないでしょうか。

でも、昭和ってそういう時代だったんです。当時はそんな話は結構身近にもあったんだろうなー、と思います。

この作品は、読む人によっては「ヨソ子さん、なんでそんなひどい仕打ちを受けて耐えなきゃならないの?!」と、彼女の気持ちに寄り添えない場合もあると思います。私も、檀一雄がヨソ子に「不倫宣言」し、ヨソ子が一人家を出た場面で「そりゃそうだよね」と思い、「そのまま暫く自由を満喫したら良いのに」などと思ってしまいました。

でも、ヨソ子さんは逆に、檀一雄が求める「妻」でいてあげられなかったことを悔いるのです。

私はまだ当時のことを「そんなこともあったかもしれない」と思える年代で、私より若い30代より若い方々には理解できないのではないかと思います。でもこの本は、若い人に「オススメではないけど疑問を持ちつつ『そんな時代もあった』ことを受け止める書籍」として読んでもらえたらな、と思っています。

 

吉村昭沢木耕太郎。この二人の作品はかなり好みが分かれるかもしれませんが、私の大好きな作家さんです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました!