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アラフィフのおっさんが趣味の登山・写真・日常を綴るブログ。

日本の非生産的業務について。〜後編:長い意思決定プロセス〜

こんにちは、GreenFielderです!

前回記事で、日本の労働生産性の低さの一因として、「無駄資料作成」を挙げました。

onedayhike.hatenablog.com

 

今回は「無駄に長い意思決定プロセス」について、日米それぞれでの経験を踏まえつつ意見を綴っていきます。

まず、以下の記事をご覧ください。

www.bengo4.com

この記事は、三枝匡氏の著書に基づき書かれた記事です。三枝氏をモデルとした主人公「黒岩莞太」の経験を通じて、日本と米国の意思決定プロセスを綴っているのですが、必ずしも「米国ビジネスモデル万歳」という意見でないところが私の実感とマッチしていて、是非引用したいと思ったわけです。

この記事の中での日米の企業意思決定の特徴を以下のように記載しています(私の中で噛み砕いたサマリーですので、正確には一度記事をお読み頂きたい)。

 

【日本】

意思決定の為の会議の前に、無駄に細かいところまで調べ上げて資料にまとめる。会議には無駄に多くの(サイレント)参加者がおり、すぐには結論が出ない。何度も似たような会議を繰り返すことで、何となく結論めいたものに収斂し、それが機関決定となる。

【米国】

少数のトップが、雑談みたいな打ち合わせで短時間で方針を即決、下のものは文句も言わずその結論に従う。

 

日本企業のケースは、特に古くからある大手企業では「あるある」ですので、この中身に多かれ少なかれ賛同する方は多いと思います。

一方米国企業のケースについては、あまり日本人がそんなケースに出会うことは(黒岩莞太のような人でもない限り)そう滅多にあることは無いでしょう。

でも私は、それに近い経験をしたことが有ります(勿論私が米国企業のトップの下で働いた経験など有りませんが)。

私たちの会社がアメリカでよく付き合っているゼネコンはオーナー会社です。とは言っても中小企業ではなく、米国でも最大手の会社です。ある時、とあるプロジェクトの入札準備が佳境を迎えていた時、そのプロジェクトの責任者から、同じチームにいた各企業の幹部に会議招集がされたのです。その会議は、本来そのゼネコンの内部会議で、その入札の準備状況と入札の成否を、オーナーが責任者に問う会議でした。

会議の中で、そのオーナーが問います。

「私の懸念は〇〇と△△と□□の3つだ。これについてどう対策している?」

「それについてはかくかくしかじかで問題ありません!」

「そうか。で、この案件は受注できるのか?」

「それについてはXX社(私どもの会社)の人、意見は?」

「はい、相手はかくかくしかじかなので、勝てると見込んでいます」

「そうか。なら、進めてよし。ただし、以下が条件である・・・」

といった感じで、何の紙の資料もなく口頭で確認するのみで、オーナーの決定がなされるのです。

私からすると、幹部出席の社内会議に他社から参加者がいるのがまず大きな違和感でしたが、逆に「会社のトップが目の前で決定」したことが明確になったので、そこから入札まではとてもスムーズでした。

また、同じゼネコンですが、時は15年ほど遡り、当時の意思決定者だった同社幹部に、まだ若かった私が会社の意を受けて追加請求を申し出た時のことです。

はじめは優しげな表情で、「残念ながらそれは受けられない」と言われ、なお食い下がろうと発言したところ、"Deal closed! Next topic!"と一方的に交渉を切られてしまいました。ただ、彼のその発言で追加請求は不可能なことが明確になり、社内で「もうひと頑張り」などという先延ばし戦法を指示する人間もいませんでした。

かように米国企業は意思決定が早く、そこからブレる(日本企業のような)ことは有りません。

・・・ただし、です。

記事にも記載が有りますが、意思決定は早いものの、裏付けのない口頭のやりとりだけで決まってしまうので、本当にその決定が正しかったのかは曖昧です。そんな意思決定の結果、大赤字を出した米国ゼネコンは数知れません。そんな時は、そのプロジェクトの責任者はクビとなり、最悪、その事業自体が消滅したり切り離されたりします。

そんな時、下で働いていた人はたまったものではありません。

 

また、同じ記事の中で黒岩が抱いた違和感、「辞めた人は無責任」というのも実感が有ります。

ご存知の通り米国では「終身雇用」という考えが有りません。それは雇用側・被雇用側双方の共通理解です。米国での雇用契約には"at will"という条項が出てきます。これは「雇用者・被雇用者どちらも意思があれば辞める・辞めさせることができる」という考え方で、これが高い人材流動性の基盤になっています。

そういう基本コンセプトのもと、それ自体が業務タスクにでもなっていない限り、「後塵の育成」なんてことは1mmも考えません。だって後塵の育成は即ち自分のポジションを脅かす人を自ら作り上げることに等しいですから。

同様に、自らが会社を去る時の引き継ぎもいい加減。場合によっては辞職した翌日から来なくなり、引き継ぎはその「ボス」の仕事になります。

なので、米国企業と付き合っていると、そういった「不連続性」問題が度々発生します。私がプロジェクト実施中に現地で採用したスタッフでも「突然辞めていなくなる」ことは何度か有りました。

こうなることが分かっている米国企業は、だから業務の「マニュアル化」「システム化」でそのインパクトを低減しています。一方の日本企業は、終身雇用と日本人性善説(会社を辞める人もしっかり業務の引き継ぎを行ってくれる)に頼るあまり、古き良き時代の「技術の伝承方法」に拘泥し、業務の「マニュアル化」「システム化」が立ち遅れたのであろう、というのが私の考えです。

 

・・・さて、またまた話が脱線してしまいました。。

 

話を元に戻すと、

①日本の意思決定プロセスは冗長すぎで、多くの人の無駄な労力、時間拘束をしている(=無駄なコストが発生)

②とは言え米国も意思決定は早いがその裏に潜むリスクが存在しており、一概に「早い=良い」とも言えない

ということになると思います。

私個人としては、トップが密室で決めてしまう方式はつまらないとは思いますが、かと言って日本方式は無駄が多すぎるので、「資料一回、会議一回で意思決定」を目指していくのが日本企業のあるべき姿であろう、と思っています。

 

最後までご覧頂きありがとうございました!