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アラフィフのおっさんが趣味の登山・写真・日常を綴るブログ。

大学テニス部同期会 〜「それぞれの今」の話から、最後はリーグ戦昇格の思い出話に〜

こんにちは、GreenFielderです!

水曜日、私は慌ただしく仕事を終えて、一路日本橋に向かっていました。

この日は大学テニス部の同期会、10年以上振りに会うメンバーもいたりして、「めちゃ太ってたり、めちゃ禿げてしまった奴がいたらどうリアクションしようか・・」などとつまらないことを考えながら電車に揺られ、やってきたのは「三越前」駅。

この駅に直結のビル内にあるお店「わたす日本橋」が同期会の会場です。

www.watasu.net

上のウェブサイトにある通り、こちらのお店は東北の食を伝えていて、私が随分以前に紹介した「南三陸ワイナリー」がワインを卸しているお店なんです。そう、この南三陸ワイナリーを立ち上げた男が、今日の同期会メンバーの一人で、このお店も彼がアレンジしてくれました。

(南三陸ワイナリーの紹介記事はコチラ☟)

onedayhike.hatenablog.com

南三陸ワイナリーウェブサイト |

彼はその日赤坂でのイベントに出展するために東北から上京してきていたので、彼も参戦することができたわけです。で、同期全員「彼の会社に貢献しよう!」とお店で飲むお酒は「ワイン縛り」(笑)

東北産の食材を使ったお料理と、三陸ワイナリー産の各種ワインを堪能しつつ(しかも、そのワイナリー社長直々のワイン解説付き!)、参加者6人の近況報告がひとしきり続きました。

メンバーは皆それぞれの社会人としての道を歩み、子供も成長して、立派なオッサンに成長してはいましたが、行きの電車の中での心配が杞憂となるくらい、みんな変わってなかった。ホッ。

それぞれの「私の履歴書」を聞きながら、でもやはり皆が聞きたかったのはワイナリーを立ち上げた彼のこと。

南三陸町に移転し、起業するに当たっては、起業塾で学んで会社を軌道に乗せるまでの「5ヵ年計画」を立案、ワインを独学で学び、個人の信用で借金をし、国の復興支援補助制度を最大限活用し、地元の理解と協力を得て、なんとか単年度黒字まで漕ぎ着けた、と。

彼曰く「元の会社に居続ければ今より安定した生活と十分な余暇が保証されてただろうけど、今は起業して、心温かい地元の人々と繋がりながら事業を育てていくのが楽しい」と。その顔には真の幸せを感じました。

でも、、やっぱり自分には「会社のカネを使って(多々制約もありつつ)好き勝手やらせてもらう方が良いかなぁ(この意見には1名賛同者有り)。

この会話の流れから、「よし、じゃあ次の同期会は南三陸町でやろう!タイミングはワインが美味しく熟成する6月で!」となり、米国に赴任する私には「その時期に無理矢理日本出張を作ること」という命題が課されました(笑)

ワイナリー社長曰く、宿とするなら「下道荘」がおススメと。

【公式サイト】民宿 下道荘(したみちそう)

 

その後話題は「当時の話」に移り、二十ウン年前のおもしろエピソードに花が咲き(みんなよく覚えてたなぁ・・)、最後は大学最後のリーグ戦の話に。

私の大学のテニス部は関東リーグの5部と6部を行ったり来たりするような位置にいてもちろん毎年の目標は「上位リーグへの昇格」でしたが、我々1年の時は6部→5部に昇格、2年では5部→6部に降格しての、3年最後のリーグ戦でした。

ちなみに皆さんきっと関東大学テニスリーグの仕組みをご存知ないでしょうから簡単に説明しますと、1部を頂点として7部までリーグが分かれていて、1〜6部までは各6校ずつ、7部は100校近い大学がひしめき、1〜6部までは総当たりのリーグ戦で順位が決まり、7部はトーナメント戦となっていました。

そして、各リーグの1、2位が、上位リーグの6、5位とそれぞれ「入れ替え戦」を行い、その結果で昇格、残留、降格が決まる、という方式でした。

6部の場合、5、6位になってしまうと、7部でトーナメント戦を勝ち上がってきた大学との入れ替え戦は降格必至と言われていて、最悪でも4位以上を死守する必要が有りました。

なお、試合はダブルス3試合、シングルス6試合の計9試合を行い、5勝以上した大学が勝ちとなります。

そして結果はというと、、、

まずリーグ戦初戦4-4で迎えた最後の試合で薄氷を踏む逆転勝ちで勝利!(ここで勝利の瞬間、主将が感極まって涙するハプニング 笑)

そして2試合目、「6部で頭ひとつ抜けて強い」との前評判で、練習試合では2-7で惨敗していた相手に(色々な運も味方して)なんと8-1で勝利!

2戦目の勝利で勢いに乗り、リーグ戦は2位通過!

そして運命の入れ替え戦、こちらはダブルスで1-2と劣勢に立たされたうえ、降雨による開始遅延によりシングルス4試合が日没で翌日再開となる難しい状況の中、シングルスで挽回して見事勝利→5部昇格できたのです!

同期会メンバーで一致した見解は、「リーグ戦の初戦・第二戦が全てだった」と。

私はレギュラーメンバーではなく、「ベンチコーチ」としてコートサイドで声を張り上げていたのですが、入れ替え戦では私がベンチコーチに入った試合で5勝目が確定したので、その試合のマッチポイントの瞬間は、今でも情景がはっきり思い出せます。

・・・と熱く書いてはみたものの「きっと当時のあのパッション・熱量はなかなか伝わらないだろうなぁ」と思います(笑)

私の中では、少なくともWBC・メキシコ戦や、前回のラグビーWC・スコットランド戦をテレビで見ていた時の興奮と熱量を上回ってましたよ!

 

やはり、大学の部活で苦楽を共にしてきた仲間と語り合うのは楽しい!そんなことを思いつつ、最終電車で帰宅の途についたのでした。

大学時代の戦友達に乾杯!

ブログ開設初期に、大学テニス時代に触れている記事があったので貼っておきます!「大学テニス部時代の詳細は別の記事で・・」なんて書いてありました(笑)この記事がそうなのかな?!

onedayhike.hatenablog.com

 

最後までご覧頂きありがとうございました!

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