こんにちは、GreenFielderです!
今週のお題「わたし○○部でした」・・にあやかって、一つ書かせて頂きます!
実は、ブログの第1回でも少し書きましたが、私は元々テニス部志望でした。ただ、私が進学した高校には硬式テニス部が無く、軟式テニス部はもういいな〜、ということで他の選択肢を探した結果、山岳部を選択したわけです。
*第1回ブログ記事はこちら!
部の名称にはこだわりがあったようで、近くの女子校が「登山部」だったのに対し我々は「山岳部」。いつの間にか私も自分が「山岳部」であることに誇りを持っていた気がします 笑
第1回ブログでも書きましたが、最初は嫌々登っていたものの、そのうち山に魅了されていきました。ただ、今とは違う魅力を感じていた気がします。
部活動なので、当然山行は多数の部員での集団行動。そして、春山、夏山、冬山、の各合宿山行は全てテント泊。テント設営、食事の調理、そして全員でまさに「一つ屋根の下」で夜を共に過ごします。そんな中で生まれた仲間との一体感も好きだったんだと思います。
安達太良山にて。背後には磐梯山。前列左から2人目の赤いヤッケが筆者。
*個人情報保護のため、顔は隠しています(30年前の写真では有りますが・・)
そういえば、当時は一応高校総体出場を目指してました 笑
各校出場できるのは4名だったと記憶していて、故に持ち回りで出場していた我が校では私が参加したのは1度だけでしたが、毎年埼玉県予選は川又〜十文字峠〜甲武信岳〜雁坂峠〜川又の周回ルートを2泊3日で踏破するコースだったと思います。
これも記憶が定かでないのですが、埼玉県は「スピード重視」の選考基準だったはずで、我々も1位目指していたのに、仲間の一人が下痢でトイレに篭ってしまい、夢破れたことが今となっては笑い話です 笑
しかし、当時夏合宿で「5泊6日」で山にこもっていたのが、今となっては「なんと贅沢な・・・」と思ってしまいます 笑
そして、山岳部時代に得た登山の知見が活きて、その後の大学時代、社会人時代に入っても、時々同僚などを誘って山に登ってました。
特に社会人になって九州に赴任していた時に、当時の同期入社メンバーと4人で屋久島の宮ノ浦岳に登ったのは良い思い出です。
縄文杉の前で。右から2人目が筆者。
*個人情報保護のため、顔は隠しています(20年以上前の写真では有りますが・・)
一方で山岳部の後輩が山で遭難死する、という出来事も経験しました。
その後輩は大学に入っても山岳部に入り、精力的に登山をしていました。遭難時は、高校時代の一つ上(私の一つ下)の先輩と二人で和名倉山へ登り、日没後の下山時に足を踏み外して転落したのが原因でした。
彼の葬儀に出席し、ご家族と、一緒に登っていた後輩の表情を直視することはできませんでした。
当時同級生の部員が制作した追悼文集は今でも大切に保管しています。
高校山岳部にいたことで、登山の楽しみを知り、登山のリスクを身に沁みて感じ、今に至ります。
山にはリスクもありますが、楽しさ、発見、感動も有ります。リスクとはうまく付き合い、慎重に行動しながらも、山に登れる喜びを今後も味わっていけたら、と切に思っています。
最後までご覧頂きありがとうございました!